最近、TVをやネットを見ていて様々な人の政治的意見を耳にしますが・・・・私としては「?」が点灯する時があります。
それは民主主義=多数決主義???なのか??と言う疑問です。
多数決の単純な考え方は皆さん分かってるので省略するとして、国会等の公的な多数決の計り方に対する私なりの意見を書こうと思ったのですが・・・・
一般的な多数決の考えと少し違っているため・・・・思いの外、長文になってしまいました。
この記事の是非は、読んだ方におまかせするとして、ご興味のある方はお付き合い下さい。
物事を決める時、「個人」や「会社などの小グループ」の場合は審議等の面倒な手続きを踏まずとも、意思決定は出来ます。
でも、これが公的な大多数となれば話は違ってきます。
それは「損得や利害・善悪」と言った物は立場が変われば180度変わってしまうためと思います。
例えば土地の境界線などは、どちらに偏っても争いの種になります。
なので「公正・公平」と言った要素が重要になります。
日本の国会は代議員制で、それぞれの代表が国会などに集まって賛否を多数決で決めています。
なので・・・民主主義=多数決と考えている人がいても不思議ではありません。
国会議員の中にも、そうした意見はあることは感じています。
選挙を「勝ち・負け」だけで語っている議員は、恐らく、そうした考えなのでしょう。
でも、それなら
- 国会の審議なんて面倒な手続きが何故、存在するのでしょうか??
- 単純に多数決ならTVの画面でボタンで国民投票にしても良いのでは????
- 選挙で各党の議席数は予め決まっているし、多数派は事前にわかってるなら・・・挙手の必要性があるのでしょうか?
- 内閣の決議をもっともらしく見せるための「見せかけのセレモニー」なのでしょうか???
私は国のルールを語る立場ではありません、また、あまり詳しくもありませんが、此の国の一員であることは間違いありません。
選挙権を頂いた20歳から今日まで選挙を通じて学んだことや・・・これまでの自分の経験から理想的な多数決の計り方は、どうあるべきかを考えてみました。
自分にとっても、いい機会なので私の中でもゴチャゴチャなっている多数決についての考え方を一度整理してみることにしました。
私の考えをわかりやすく説明するために、国会を天秤秤にたとえ「是・非の秤」として、国会の審議会を「納得のウエイト」作りの場としてイラストを作成してみました。
- ここから「私流多数決の計り方」です。
天秤秤はイラストで説明している様に左右のバランスが均衡した時が「成立」で、どちらかに片寄った時は「不成立」なのです。
多数決だから「多数が是」と思う意見はあると思いますが、多数=正しい、と考えるのは間違いと思います。
このように天秤秤だと多数=是とは言い切れないのです。
なので・・・天秤秤を例えに使いました。
私は数だけの多数決は危険と考えています。
過去にナチスのヒトラーも民主的な手続きを経て総統になり、多数派の後押しで「戦争」を繰り返す独裁者を育てた歴史もあります。
単純に多数派の意見だから・・・と押し切ることは「国家の暴走」を招きかねません。
※だから国会は「是」が多数派の場合は「公平・公正」の理念の元で少数派の「非」の意見に対して「納得のウエイト」が乗せられなければなりません。
それが乗って、初めて「成立」となる様に面倒な手続きをとっていると思っています。
この「納得のウエイト」は多数派による少数派への説明・説得で作られます。
ヤヤコシイ国会の審議は、この「納得のウエイト」を作るためにあると私は考えています。
これは単純な多数決{国民投票」等では、このウエイトは作れません。
そして、面倒でも、これに時間を掛けなければならない大きな理由が2つあります。
ここが重要です。
理由1は
それは仮に「納得のウエイト」が少数派に乗り、結論が「是」になっても「非」の考えの人が「是」に全て変わる訳ではないからです。
決議が「是」に決まって、決議を受け入れる事になっても、「内心は非」のままなのです。
その内心まで、無理やり服従させることは出来ないからと考えます。
公的な事柄を決めようとすると、必ず、多数派と少数派に意見は分かれます。
いくら話し合ったとしても、すべての国民が多数派になることは無いのです。
一部の少数派の意見を踏みにじり続ければ、やがて大きな衝突をまねきます。
理由2は
どんな優秀な人であっても「人は間違いを起こす」ということです。
過去の悲惨な戦争がそれを語っています。
なので、丁寧な「納得のウエイト」を作ることは重要で時間もかけなければならないと私は考えます。
沢山の利害か混在する多数の人の意見をまとめるには「公正・公平」は「善悪、損得」より優先されるべきで「公正・公平」であるなら「非」の少数派の人たちも、進んで「納得」のウエイトを乗せるべきと考えます。
- ここまでが「私流多数決の計り方」です。
多くの国民は普段、仕事に従事していて国全体の問題に大きな時間が作れません。
そこでみんなで出し合った税金で国会、公務、政府に携わる専門家を雇い運営し、国民の安全・安心のため働いて頂いています。
このため一般国民はヤヤコシイ政治のルールには無知なことも多々あります。
でも、国民は彼らの「雇い主」であり「主権者」だということを忘れないようにしなければならないと思います。
総理大臣といえども権力のある立場を国民から託されているのであって、国は私物でもないのだから「偉そうに、ふんぞり返る」なんて人間は勘違いもはなはだしいのです。
でも・・・日本・世界を見渡しても・・・勘違いしている人は、残念ながらいるようです。
イタズラに難しい言葉を使って国民をケムに巻く国会議員やメディヤ等、その周りの体質は、その言葉を使うだけで「いかがわしい奴」と感じます、改めるべきです。
国民の多くは、国会で決議に掛けられている一つ一つの内容ついいて詳しく理解しているわけではありません。
そこで決議の内容を審議する場を作って「野党」が国民に成り代わって「政権側」に質問をしてくれています。
政権側は真摯に答える義務があります。
そんな野党を少数派だからと「うるせーんだよ!」なんて言葉にしないまでも、そう言う態度で対するなら「雇い主である国民をナメてる!」と言われても仕方がありません。
この観点から、安倍内閣の今回の騒動を見ると「森友・加計・日報隠し・テロ法案・・・等」どれも、「是非の秤」が不成立の状態で押し切ろうとしているように感じています。
国民を散々ナメた扱いをして「謝罪・内閣改造」?????
改造しなければならないのは「安倍さんの頭の中身」です。
謝るようなことは初めからヤラないで下さい。(謝ればリセットできると思うのは不誠実です)
その前に少なくとも、口先でなく行動(解散・総選挙)で示すべきと考えます。
国民が目・耳・口を閉じて「無関心」を決め込む行為は「国の暴走」を容認し「独裁者」を育てる行為に等しいと思います。
特に未来を担う若者は、面倒だと腐らずに勇気と誠意で立ち向かってほしいと、心から願います。
今回の騒動を見て、あくまで私の個人的意見ですが、より良い国の未来を担う人のために精一杯考えて、私流で説明したつもりですが????要点が上手く絞れてないかも????意図が伝わればいいのですが???
ココに記したことは、実は何十年も前から頭の中にイメージとして持っていましたが・・・私として選挙に行くことぐらいが関の山で・・・・イメージを具体的に説明できるようにしたいとは思っていたのですが出来ませんでした。
私は何事もイメージで捉えるタイプで、具体的に説明することは超苦手なのです。
これで長年の便秘が解消したようでスッキリしました。
記述者ー三谷正昭
1953年3月大阪生まれ
歩くこと、サイクリング、 仕事
壁面にピッタリの本棚作り